里人の吾に告ぐらく汝が戀ふる愛はし妻は黄葉の散り乱がひたる… 日時: 2011年12月5日
13 3303
里人之 吾丹告樂 汝戀 愛妻者 黄葉之 散乱有
神名火之 此山邊柄 或本云彼山
邊烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴
13 3304
不聞而 黙然有益乎 何如文 公之正香乎 人之告鶴
里人之吾丹告樂 里人の吾に告ぐらく
汝戀愛妻者 汝が戀ふる愛はし夫は
黄葉之散乱有 もみじ葉の散り乱ひたる
神名火之此山邊柄 かむなびの此の山辺から
或本云彼山邊 或本に云ふ 彼の山辺
烏玉之黒馬尓乗而 烏玉の黒馬に乗りて
河瀬乎七湍渡而 河の瀬を七湍渡りて
裏觸而 うらぶれて
妻者會登 夫は会ひきと
人曽告鶴 人ぞ告げつる
さとびとの あれに つぐらく
ながこふる うるはし つまは
もみじばの ちりまがひたる
かむなびの このやまべから
うばたまの くろまに のりて
かわのせを ななせ わたりて
うらぶれて
つまは あひきと
ひとぞ つげつる
不聞而 聞くかずして
黙然有益乎 黙然も 有らましを
何如文 何しかも
公之正香乎 君が正香を
人之告鶴 人の告げつる
きかずして
もだも あらましを
なにしかも
きみが ただかを
ひとの つげつる
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人=里人。
公=きみ。配偶者をさして使うこと有り。
正香:ただか。
黄葉=紅葉に同じ。きいろい葉ではない。
黄は万葉集の時代には広い色域を含んだ。(佐竹氏の論文)
散乱:ちり+まがふ。まがひ、まがふ、の語義に注意。紛う。
ただし、散ると同伴する分布からして
薄片状のものの散る様子に具体性を与える語。
乱はさわく、などとも読むので混乱しないこと。
神名火:かむなび:
神奈備とも。神のやどる場所・物をさす。
神域や神体山などまたそれらにかかる枕詞。
烏玉:うばたま:
黒いものにかかる詞。ここでは黒馬。
黒馬:くろま:
探索と考究のいることば。
なぜ夫(つま)は黒い馬に乗っているのか
七瀬を渡る:
なぜ七つの瀬なのか。単に多い回数か渡るだけか。
この歌の表層の意味の解釈は
まず里人の意味から始まる。
妻問うことが結婚形態であったから、
死んだ夫(つま)の葬送は夫(つま)の親族の手で執り行われたのではないか。
(調べて確かめる。)
里人は夫(つま)の「里」ではないか。
女性の側は「告げられる」側に立っている。
この歌が挽歌とされるのも告げる里人の登場によるのだろう。
里人は配偶者に死者のあの世での振る舞いを伝えて葬礼を締めくくるのだろう。
それは幻影を語っているのか。
イメージとして言葉にすれば
こんな感じだろうか…
紅葉が散り舞う秋深い
神さびた山辺の道をたどり
黒馬に乗って去っていく
何度も何度も
音高く流れる川の瀬を渡って
愛しい人々との別れの定めに
うちしおれて
去っていくあの方を
見送ってきましたよ里人ははっきり私に告げました
何にも聞きたくなかった
物も言わずかたくなに
ひとりでいたかった
どうしてなの
あなたの直処(有様)なぞ
告げてほしくなかったのに
七瀬を渡りうらぶれての歌のノート 再考… 日時: 2011年12月8日 13:52
「里人の我に告ぐらく…人ぞ告げつる」の里人と人が
作者にとってどういう立場のものかを考えてみたのだが、
この歌を別の文脈で考えられないか、もう一考してみることにした。
2 151
額田王 如是有乃懐知勢婆大御船泊之登萬里人標結麻思乎
如是有乃かからむと)、懐知勢婆(かねてしりせば)、大御船、泊(はて)し、登萬里人(とまりに)標(しめ)結はましを
これは里人を「登萬里人」(とまりに)と読ませる音表記の一部だから本節と関係がない。
10 1937 未詳
大夫之出立向故郷之神名備山尓明来者柘之左枝尓暮去者小松之若末尓里人之聞戀麻田山彦乃答響萬田霍公鳥都麻戀為良思左夜中尓鳴
ますらをの出で立ち向かふ故郷の 神名備山に明けくれば柘(つみ)のさ枝に 夕去れば小松がうれに 里人の聞き恋ふるまで 山彦のあひとよむまで 霍公鳥(ほととぎす)妻恋すらし さ夜中に鳴く
里人之聞戀麻田をどう読むか。「聞き恋ふるまで」か。霍公鳥の妻恋する声が里人を聞き恋ふるまでにするという歌だ。聞き恋ふるとは聞き惚れるに類似か?いや、それは美声にではなくその恋の激しさにほだされるのだから、自らの恋心が揺り起こされるという意味だろう。ここでの里人は普通に故郷の里人と解せる。敢えて言うなら導入の句「大夫之出立向神名備山」の森と里を対でみて森のホトトギスと聞く里人をさ夜中の鳴き声が結んでいると言うこと。
恋は夜中ということを踏まえること、イメージとして。
10 2287 未詳
吾屋前之芽子開二家里不落間尓早来可見平城里人
吾屋前之(わがやどの)萩咲にけり散らぬ間にはや来て見べし 平城(なら)の里人
平城里人は平城の里人で「ならのさとびと」と読むだろう。
11 2562 未詳
里人之言縁妻乎荒垣之外也吾将見悪有名國
里人の言縁(寄せ、か) 妻を 荒垣の外(よそ)にや我が見む 憎くあらなくに
この歌が強いて言えば関連がありそうな一首だ。
11 2598 未詳
遠有跡公衣戀流玉桙乃里人皆尓吾戀八方
遠有跡(とほくあれど)公(きみ)にそ戀ふる玉桙(たまぼこ)の里人皆に我戀ひめやも
12 2873 未詳
里人毛謂告我祢縦咲也思戀而毛将死誰名将有哉
里人も謂告(かたりつぐ)がね 縦咲(よしゑ)やし戀ひても死なむ 誰が名ならめや
13 3272 未詳
打延而思之小野者不遠其里人之標結等聞手師日従立良久乃田付毛不知居久乃於久鴨不知……
打ち延(はへ)て思ひし小野はま近き其の里人の標結ふと聞きてし日より 起てらくのたづきも知らず居らくの奥処(おくが)も知らず…
里人という文字は万葉集中にはこれだけのようだが、これでみると確かなことは言えないようだ。
里人という言葉にその土地に住む人という以上の特別の意味はなさそうだが、
しかし、恋と里人は同伴分布するという感はある。
現代でも「出産の時は里にもどるつもりです」などと女性が言うことがある。
現代では里は家族を指すが、古代では同一氏族集団を指していたのだろう。
律令制の里は国・郡・里という編成の地域行政単位だが里人と云う時は行政的帰属ではないだろう。氏姓制的な帰属の意識だろうか。
「世の中」的な生活場面での他者(同族者や知人)を里人とするのが妥当な解釈だろう。
上記の用例はその解釈に矛盾するものではない。
里人はいろいろな噂話をし告げ口する人々なので恋する主体(歌の作者)からは憎らしい相手として歌われるが、全くの他人ではないからこそ噂や告げ口をするのである。
世間というカテゴリーは今も生きている。
個人の自律的発展と個性の尊重などという近代のカテゴリーを持ち込むわけにはいかない。
3303の歌は里人は意地悪いことを告げているのではない。
作者が自分で聞かなければよかった、
無視すればよかったと思っているだけなのだ。
さとびとの あれに つぐらく 里人が私に告げるには
ながこふる うるはし つまは 貴女の恋しく思っている 愛しい人は
もみじばの ちりまがひたる 紅葉の落ち葉が乱れふる
かむなびの このやまべから 神名備山の麓から
うばたまの くろまに のりて 黒馬に乗って 音たてて流れる
かわのせを ななせ わたりて 川の瀬を幾度もわたって来たような
うらぶれて 窶れ侘びた様子の
つまは あひきと あの方に遭いましたよと
ひとぞ つげつる 里人は告げました
きかずして 聞かなければよかったのです
もだも あらましを 我が事ならじの素振りでいればよかった
なにしかも どうしてなお わざわざ
きみが ただかを 貴方の様子はどうだったと
ひとの つげつる わたしに告げるなんて
最初に参照した本に挽歌とあったことに引きずられたのが
よくなかったように思う。
相聞のひとつの形として
里人の噂が自分を苦しめる様子を歌っていると率直に読んでいいようだ。
「黒馬に乗りて河つ瀬を七瀬渡りて零落れて」 行き悩む恋 2011年12月8日
里人之吾丹告樂 汝戀愛妻者 黄葉之散乱有 神名火之此山邊柄 烏玉之黒馬尓乗而 河瀬乎七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴
里人の吾に告ぐらく 汝が戀ふる愛はし夫は 黄葉の散りまがひたる 神名火の此の山邊から 烏玉の黒馬に乗りて 河つ瀬を七湍渡りて 零落れて 夫は會ひきと ひとそ告げつる
「黒馬に乗りて 川つ瀬を七瀬渡りて
川の瀬を黒馬に乗って七渡りして、ということだが、
文脈的には「七度渡る七つの瀬」を言うのはその通りなのだろうが、
「瀬(せ)」が塞(せ)くの「塞(せ)」に連想されることに注意したい。
七瀬は七塞を暗示するのかもしれない。
川の瀬は川という境界、塞く場所なのだが、
瀬が川である限り瀬というとき「渡り難い隔て」として川を含意している。
「遇い難さ」の表現として「瀬という場所」があると思う。
それは次の歌でも裏付けられるように思う。
4 525 大伴坂上郎女
狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母 有粳
佐保川の 小石踏み渡り ぬば玉の 黒馬来る夜は 年にも あらぬか
「佐保川の 小石踏み渡り」「黒馬の来」るのは川瀬を通ってということであり、
通常は渡らない瀬を馬で踏み渡りやって来るというのだ。
塞くイメージがやはり横たわっているようだ。
この歌、馬の脚さばきに小石が立てる音と玉響(たまゆら)とが重なるイメージだろうか。
そうだとすれば美しい形象だ。
年はあきらかに年に一度の七夕の夜を踏まえた言葉だ。
4 528
千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者
千鳥鳴く佐保の川門(と)の瀬を広み打橋渡す汝が来(く)とおもへば
越えがたいからこそ「打橋渡す」願望が生じるのだ。瀬は広すぎたり急だったりして
恋を隔てる。
7 1366 未詳
明日香川 七瀬之 不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目
明日香川 七瀬の 淀に 住む鳥も こころ有れこそ 波立てざらめ
ここには七瀬が出てくる。まるで固有地名のように「七瀬の淀」がある。
人目を忍び逢うのだからどうか騒ぎ立てないでおくれ七瀬の淀に住む鳥たちよと歌う。
波立つ水面、脚をとる流れ、騒ぐ水鳥。
こころないものに抗ってやって来る恋人の姿。
10 2032 人麻呂非略体
一年邇 七夕耳 相人之 戀毛 不過者 夜深徃久毛 一云 不盡者 佐宵曽 明尓来
ひととせに なぬかのよのみ 逢ふ人の 恋も過ぎねば 夜は更ふけゆくも 一云 つきねばさ夜 明けにける
「七夕」を「なぬかのよ」と読み「耳」を「のみ」と読むらしいが、
漢詩の「七夕」を直に訓読みしたもの。「たなばた」は「七夕」と書かないようだ。
七箇夜(七日夜)では七月七日を指すに十分でないので「七夕」をそのまま使っているのだろう。
10 2018 人麻呂非略体
天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於踏 夜深去来
天の川 去年の渡りて 移ろへば 川瀬を踏むに 夜ぞ更けにける
天の川とあり七夕を踏まえての歌であるが、
この歌は移ろう川瀬を種に恋人のもとへたどり着けない嘆きを歌っていると思う。
ここで注意しておくのは
川瀬を渡るのは馬でとは明示されていないが「踏むに」とあるので「徒歩渡り」か乗馬にての渡りだということ。つまり舟ではないことに注意しておこう。
10 2037 未詳
年之戀 今夜盡而 明日従者 如常哉 吾戀居牟
年の恋 今宵つくして 明日よりは 常の如くや 我が恋ひ居らむ
「年の恋」という歌の言葉が有ったこと。それは「七夕の恋」と同義であったこと。
10 2053 未詳
天漢 八十瀬 霧合 男星之 時待船 今滂良之
天の川 やそ瀬 きらへり ひこほしの 時待つ舟は 今しこぐらし
八十瀬とは何か。天漢(あまのかわ)の川の瀬の多さをいう言葉だ。
「きらふ」は霧らふ。霧が顕つことだ。
天の川、瀬、彦星、舟。時を待って彦星(牽牛郎)は漕ぎ出る。
これが典型的な七夕の歌の場面なのだ。
瀬を渡るのは普通は舟で漕ぎ渡ることになっている。
万葉集では圧倒的な数がそうなのだ。
しかしながら
鋭い直感で白川玄齋さんが気づいたように
馬に乗って川瀬を渡り来る恋人を年の恋に重ねることが万葉歌人の発想としてあったようだ。
天の川 去年の渡りて 移ろへば 川瀬を踏むに 夜ぞ更けにける
どうだろうか。七瀬という言葉には
七夕(なぬかのよ)の逢瀬が潜んでいないだろうか。
以上のノートは粗雑なものだが今後もこの視点をフォローしてみたいと思う。
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