2012年3月15日木曜日

自由律短歌 歌人金子きみ歌集

歌人金子きみ歌集 『草の分際』短歌新聞社刊


金子きみは大正四年、北海道北見サロマ湖畔の開拓農家で生まれる。
七歳、父の事業失敗で家族は旭川へ出て下駄屋で凌ぐ。
十一歳、サロマ湖の東芭露に再入植。
昭和十五年 尾崎士郎夫妻の媒酌で金子智一と結婚、二十五歳。


『戦前から現代までの激動期を、歌人・作家・平和運動活動家として活躍し、
2009年奈良県大和郡山市で94歳の生涯を閉じた。
歌人金子きみの残した口語自由律短歌には、
彼女の生き様と心の軌跡が飾られる事なく表現されている。』


その幾つかだが…


嫁ぐ日が近い 火ほどの恋愛は終に無かった 澄み切った月
命いっぱい愛すと言う わたし何を言えばいいのか わからないから泣いた
日差しの中でりんごの皮をむく 安易にもたれて嫁ぐをよしとする
かたみ見ぬ我が子への愛に固まり 朝陽夕日ほほに熱す
草へ座れば草の神話 我が身うちに居て聞くらしい子へ草を摘む
現し世のあらあらしく 胎児よ草路ゆくばかりの母と思うな
草いとしくてならぬ やがて秋草のその中に産み落とすいのち
地球が割れるように生まれて たちまち母子と言うつながりの盲目
新生児の息づかいをうかがう 誰でも親になれる この世の親しさ
あまる乳を朝のながれに流す さらさらとそのかなしみを流す
ためらいなく広げる胸のきよい悲しみを 児の瞳が吸う
この年に生まれし児よと 児をゆすり起こして聞く宣戦布告
宣戦 直ちに夫に報道班員の徴用令 選ばれたと言う眉を見つめる
何をか言わん日本男児 夫はみどり児に敬礼をして戦地に向かう
銃後の悲しみとしてはいけない悲しみを 乳児の目が吸いとってくれる
父は戦線とも 何とも知らず ヒヨコに驚き 麦の穂に驚き育つ児よ
おとうさんは戦地とおぼえた片言に 軍用機の影寄って来る
欲しがりません勝つまでは 空腹なだめて雑炊食堂の行列にならぶ
児の脱ぎ忘れた靴夕陽を吸っている しばし聞かざりし声を聞くような
下町空襲で十万死んだ 怒濤のような疎開者 わたしも山梨の山に逃れる
疎開者がむきだしで蠢く駅の地下道 負けまいと加わるボロボロの夢
疎開で借りた畑はとびとびで 背負子背負ってあっちの山こっちの山
遠州鍬に土の固さ 弱音はくまい 今に小麦がとれる さつま芋がとれる
蝮でもひっとらえて食わざ 土地の人栄養をとれと優しい
ここならてっきこないね 姉の子わたしの子 はだしでころころ遊ぶ
この戦争の本来をいつどこで知る 犬ころのようにかけて万歳
戦地の便り絶えて一年 山の疎開地でひっそり子に摘んだ桑の実
インドネシア独立の火の玉だよ 帰還の大宅壮一さん夫の近況をもたらす
民衆と仲良しでね 彼戦争の幸福者ですよと言われても分らない


以上は結婚から敗戦までの歌のいくつかである。

  • 自由律短歌の一つの例として
  • 戦前戦後を労働しつつ詠った女性歌人として
  • 生活から平和の価値を歌い上げている
  • 戦時下で反戦の目で歌っている
   その例は次の二首でもうかがえる。

    この戦争の本来をいつどこで知る 犬ころのようにかけて万歳
    戦地の便り絶えて一年 山の疎開地でひっそり子に摘んだ桑の実


など、一つの短歌史の座標と思う。


欲しがりません勝つまでは 空腹なだめて雑炊食堂の行列にならぶ
児の脱ぎ忘れた靴夕陽を吸っている しばし聞かざりし声を聞くような
下町空襲で十万死んだ 怒濤のような疎開者 わたしも山梨の山に逃れる
疎開者がむきだしで蠢く駅の地下道 負けまいと加わるボロボロの夢
疎開で借りた畑はとびとびで 背負子背負ってあっちの山こっちの山
遠州鍬に土の固さ 弱音はくまい 今に小麦がとれる さつま芋がとれる


この六首など戦時下に詠まれたものには出色の出来のものがあるとおもった。
もちろん発表で来たはずもない。が、
目の前の現実とそこに生きる自他を率直にとらえて、現実は悲惨なのに美しい。

心身一如という括り



ひと息にこの川跳びしは八月の五年生の脚下駄ばきのまま


この小さな身体のままで何年か先に離(か)りゆくこの世といふ所


さみしいよ 身体の中に退(すざ)れども壊れものの身体庇うてくれぬ


さいさいと包丁研ぎてゐたる日よ病気する前の心身一如


眠らせてくるる一錠春紫苑の花よりすこし紫の濃し


一日を漕ぎ渡りたる日輪が横ひろがりに膨れて沈む


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


「心身一如」 

<「庭」 河野裕子歌集 二〇〇四年十一月刊 砂子屋書房 より >



世間一般のひとびとにも知られる歌人の河野裕子氏が歌集の中に入れたひと束の歌。
それを「心身一如」という言葉で括っている。このひと束の中で使われているからなのは間違いないが、
歌集全体を生と死とそのあいだに立つ自分 を見定める眼差しが際立っている中で、
心身一如という言葉は回復や再生への抑えがたい願いが籠っているに違いない。
しかし歌たちは少しも剥き出しではない。


「さみしいよ」と始まる歌も引きこもるこころの拠り所としての身体が
身体ゆえに壊れものとして壊れていくその頼りなささみしさを「庇うてくれぬ」
と心と身体のそれぞれの孤立・孤独を認知するという、視る者のことばに終始している。
これは読み間違えそうだが繰り言を言うのではない。
繰り言でないからいっそう哀切である。


気持ちよく体がいっしょに歌っていた日々。
包丁研ぎにも主婦の味存分にしていた彼女の心身一如はそれを一如と意識もしなかった。
今は「さいさい」と音たてていた包丁と砥石のリズムが実は身体の中にもあったことが気づかれる。
そしてそれは失われてしまっているのだと「いま」を思い知る。


一日を漕ぎ渡りたる日輪が横ひろがりに膨れて沈む


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


この二首は「裕子調」と行っても良いような世界像が歌われ
健康な時の河野裕子の歌と変わらないが、他の歌と並ぶことで
いのちへの憧憬がこの歌人の以前から変わらない生来のものと気づかされる。


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


この生命感、明るい月夜に夜目にも白く咲くゑんどうの花が豆になっていく。
宮崎アニメの「トトロ」のシーンを連想しても構わない。
豆になりゆくゑんどうの間に居る裕子さんは自身もゑんどうの花なのか。
そしてひと世終えて豆になろうとしているのか。
もしそうなら
自分の死をこのように眺める(凝視でなく)眼で
活きている世界をみていた彼女をわたしは愛おしく思う。


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


明るい月夜でなければならない。
そう思っている彼女をそう理解するわたしは
その瞬間だけは「おんなの身」に変容しているのかもしれないと思う。
河野裕子氏の歌に何故かそうなるのである。


読むだけのわたしの大語解(大誤解)かもしれないのだが。


自分の身体を地として万物の「かたち」に触れていった河野裕子の歌の軌跡。
全ては身体のように鼓動を持ち体温を持っていた。


たっぷりと真水を抱きてしづもれる 昏(くら)き器を近江と言へり


この歌にもわたしは人の身体の幻影を見る気がしている。
昏き器とは実はひとの心身一如としての「からだ」ではないのだろうかと。
「ひとよ(一世)」を終えた裕子さんにいまさら確かめる術もないのだが。


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2012年3月1日木曜日

たれちち? たれぢぢ?

痩せぎすで来た何十年。体型や体重にさしたる変化もない。
そんな私が入浴時にある変事に気づいた。


鏡の前に立って自分の片割れを見て気づいたのだった。


馬齢を重ねると…男でも乳が垂れてくる?


脂肪の多い方は男性でも起こる事象だとは…思っていた。
やせっぽちには無縁だと…


いや、これは間違いない。1~2センチ以上下がっている!!


ぎゅっと大胸筋に力を入れるとわずかに上昇するのが分かる。
でも以前の位置よりは下だな、と確認する。


後はただ自分でも可笑しくてははははとほとんど声の無い笑いとなった。
実は健康を意識して上腕の筋肉や背筋は鍛えていて少し成果が出ていたのだが
素人の自己流では大胸筋などは鍛えることになっていなかったらしい。
やり方を憶えて
「バストアップ」といこう(笑)


狂歌一首参る

「垂れぢぢ」と我とわが身に先に告ぐ 鏡の向ふの我がかたはれは






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