大道直如髪 大道 直きこと髪の如く
春日佳氣多 春日 佳気多し
五陵貴公子 五陵の貴公子
雙雙嗚玉珂 双双 玉珂を鳴らす
洛陽道は都洛陽の大通り。
真っ直ぐ長い髪のように伸びている。
真っ直ぐ長い髪のように伸びている。
春日は佳気多し、とは春の日のうららかであること、
うきうきさせるものが多いこと。
うきうきさせるものが多いこと。
ただ天気がいいというのではない。
佳人を「よきひと」と読むのにおなじ。
佳人を「よきひと」と読むのにおなじ。
五陵は場所。有閑の貴族子弟や遊侠の徒が集まる繁華な場所。
双双は擬音語。玉製の馬具『玉珂』が触れ合って立てる華麗な音である。
律動は以下のように分節される。
大道|直|如髪
大道|直|如髪
春日|佳気|多
五陵|貴公|子 (貴|公子 と分けるべきか…?)
双双|鳴|玉珂
詩経のなかに「綢直如髮」という表現がある。
髪と道ではずいぶん違うようにも思えるが、
大道(ひろびろとした道)が長い髪のように真っ直ぐ伸びているのだ。
(訂正)
大道(ひろびろとした道)が長い髪のように真っ直ぐ伸びているのだ。
(訂正)
<長い髪をほどくように真っ直ぐ>ではなく、南北に縦横に伸びている都会の街路の様子を髪の毛がぎっしり纏まっているように密集した直線だととらえて表現しているのだ。「綢直如髮」との古典を踏まえた言い方をしていると思う。都人士(雅な人たち)という古い詩を踏んで今の都を詠うという仕掛け。しかし「髪」という連想はここで効果をもつことは動かないだろう。豊かで真直ぐな髪が女性を連想するということも織り込み済みのはずだから。
髪のように真っ直ぐでどこまでも伸び広がっている街への想い。
大道は地、春日は天(時)、貴公子は人、そしてさんさんと鳴る玉の馬具は繁栄を象徴している。 どこか「祝祭性」の感じが漂う詩だ。
日常を切り取るかに見えて実は…多分に「越境」している。
こう解してよいのだろうと思う。
安史の乱が起こる前の太平楽然とした洛陽の風俗を抽象的に
ただ双双と鳴る玉珂に焦点を結んで切り取って見せた詩である。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 与謝野晶子
「みだれ髪」 この歌でも具体的な対象は櫛と髪。
二十という時春という時が輝きと色と重さをもっている。
春と青春をともに掬い上げて残すところのない詩歌ふたつ。
【追記】
「綢直如髮」について
彼君子女、綢直如髮。
我不見兮、我心不說。
【追記】
「綢直如髮」について
綢: 繆也。謂枲之十絜,一曰綢繆二義皆與繆同也。
今人綢繆字不分用。然詩都人士單用綢字。曰綢直如髮。
毛傳以密直釋之。則綢卽稠之叚借也。
从糸。周聲。直由切。三部。按此二篆疑有譌亂。(説文解字)
<詩経 小雅 都人士2 >
都人士:
彼都人士、臺笠緇撮。彼君子女、綢直如髮。
我不見兮、我心不說。
詩經 小雅 都人士:
「彼君子女,綢直如髮。」
鄭玄˙箋 :
「其情性密緻,操性正直,如髮之本末無隆殺也。」
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