2012年10月13日土曜日

短歌: ゆうぐれに 2



岨みちにかけて照る日の傾きぬ荒れゆく里に秋風の色

そばみちにかけててるひのかたぶきぬあれゆくさとにあきかぜのいろ

短歌:ゆうぐれに 



ゆふぐれの風やはらかに沖へ寄す波も往くなりおくれおくれに


2012年10月10日水曜日

短歌:斧の刃




斧の刃にか黒く深き空映る息かけて告ぐ木は倒れたり

森昏く濡れるを抜け来此処に座す杣人の膳酒盡きぬ夜

土間に置く斧の刃冴えて更けゆく夜揃えし靴に蟋蟀上る


2012年8月12日日曜日

短歌:更新 8/12






<何でもないただの一日を歌にする、楽しさが少しわかった気がした>
 草叢の酢漿草の花揺らしつつ お向かいの猫 庭を横切る 

人みなが無事にと願う暑い日よ逃げ水は逃げひまわりは耐え

2012年8月6日月曜日

2012年8月5日日曜日

短歌: 20120805 山に棲む日々から




森を往くわれ囲繞まむとする音の暫しくありてふっと止みけり

蝶と往く暗道まがり別れ来ぬ見よそれぞれに青き空あり

2012年8月2日木曜日

短歌:20120802



――永遠ということをわが身の内にあると知りしことを――

投げ入れて百合の白さに永遠を見き訣れしいまは今は今なり

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2012年8月1日水曜日

夏バテの痩身一躯 ひっ下げて 灼けた舗石にたつ 影ありき




<十五歳の夏の思い出>

夏バテの痩身一躯 ひっ下げて 灼けた舗石にたつ 影ありき

声嗄らし 上本町の路上にて 被爆者援護の 募金を言いき

<夥しい死者を憶う、八月はそういう月>

八月の旬日すべて我が忌日 鐘鳴らしたし 音たてぬ 鐘

いつまでも鳴らさむ鐘よ 響きのみ 海上の果て 伝わりて 行け

海眠り 山は静もる 朝影に君待つも我れ 翁となりぬ

去年 今年 己が言語の衰えて 君呼ぶ声も弱る 口惜し

八月の死者に呼ばわる者達のいのちはひとつ 願うもひとつ



2012年7月22日日曜日

2012年7月17日火曜日

まだきの鶯声




我が見しは天平の夏 乙女らが笑まひ絶やさず水給ふ 夢


心地好き覚め際の夢突き破り 鶯鳴きぬ 午前四時半


闇払ふひと声高き また低き 鶯の声 朝霧のなか


弥増しの暑さ 真昼に来るべし 夜明けを選び 歌ふ 鶯

2012年7月11日水曜日


そっと触れた指のぬくもり残る頬きみ夢に来て胸とどろきぬ

三十年を夢にも逢わぬきみなりきけさはまだきにあわきおもかげ




2012年6月20日水曜日

短歌 河童の方言混じり



河童(かわたろ)が づつない恋に 泣いとった 水やはらかな あの夏の岸



「かわたろ」もその大阪弁の「がたろ」も
今は使わない言葉になったようだ。

「或いは恠(あやしみ)をなして婦女を姦淫す」(物類称呼 二 ) とあるように、
世間では水怪として人をたぶらかすとされていた。
そこから詐欺・かっぱらいの類まで「がたろ」と呼ぶようになった。

小説や漫画の世界で復権していささか名誉を回復できたが、
零落した神々」のうちでは一番酷い目にあったもののひとつだった。

小生は多分に河童に肩入れするところがあり、
ひとを河童に見立てることがたまにある。

蕪村翁に

河童の恋する宿や夏の月

という句がある。

これは 「恠みをなして婦女を」さそっておる状況を
想像するのが作者の意を汲むことになると思う。

ゆらゆらゆれる宿(舟)の上に月、葦の茂みに隠れた水の上、
可笑し味のある河童の恋。
恋はどこか恠さを、相互の幻惑をもっているもの、
と蕪村は笑っている、そんな句と思えるのだ。
愚かしく可笑しく生きてきた愚生の見当違いかも知れぬが。

2012年3月15日木曜日

自由律短歌 歌人金子きみ歌集

歌人金子きみ歌集 『草の分際』短歌新聞社刊


金子きみは大正四年、北海道北見サロマ湖畔の開拓農家で生まれる。
七歳、父の事業失敗で家族は旭川へ出て下駄屋で凌ぐ。
十一歳、サロマ湖の東芭露に再入植。
昭和十五年 尾崎士郎夫妻の媒酌で金子智一と結婚、二十五歳。


『戦前から現代までの激動期を、歌人・作家・平和運動活動家として活躍し、
2009年奈良県大和郡山市で94歳の生涯を閉じた。
歌人金子きみの残した口語自由律短歌には、
彼女の生き様と心の軌跡が飾られる事なく表現されている。』


その幾つかだが…


嫁ぐ日が近い 火ほどの恋愛は終に無かった 澄み切った月
命いっぱい愛すと言う わたし何を言えばいいのか わからないから泣いた
日差しの中でりんごの皮をむく 安易にもたれて嫁ぐをよしとする
かたみ見ぬ我が子への愛に固まり 朝陽夕日ほほに熱す
草へ座れば草の神話 我が身うちに居て聞くらしい子へ草を摘む
現し世のあらあらしく 胎児よ草路ゆくばかりの母と思うな
草いとしくてならぬ やがて秋草のその中に産み落とすいのち
地球が割れるように生まれて たちまち母子と言うつながりの盲目
新生児の息づかいをうかがう 誰でも親になれる この世の親しさ
あまる乳を朝のながれに流す さらさらとそのかなしみを流す
ためらいなく広げる胸のきよい悲しみを 児の瞳が吸う
この年に生まれし児よと 児をゆすり起こして聞く宣戦布告
宣戦 直ちに夫に報道班員の徴用令 選ばれたと言う眉を見つめる
何をか言わん日本男児 夫はみどり児に敬礼をして戦地に向かう
銃後の悲しみとしてはいけない悲しみを 乳児の目が吸いとってくれる
父は戦線とも 何とも知らず ヒヨコに驚き 麦の穂に驚き育つ児よ
おとうさんは戦地とおぼえた片言に 軍用機の影寄って来る
欲しがりません勝つまでは 空腹なだめて雑炊食堂の行列にならぶ
児の脱ぎ忘れた靴夕陽を吸っている しばし聞かざりし声を聞くような
下町空襲で十万死んだ 怒濤のような疎開者 わたしも山梨の山に逃れる
疎開者がむきだしで蠢く駅の地下道 負けまいと加わるボロボロの夢
疎開で借りた畑はとびとびで 背負子背負ってあっちの山こっちの山
遠州鍬に土の固さ 弱音はくまい 今に小麦がとれる さつま芋がとれる
蝮でもひっとらえて食わざ 土地の人栄養をとれと優しい
ここならてっきこないね 姉の子わたしの子 はだしでころころ遊ぶ
この戦争の本来をいつどこで知る 犬ころのようにかけて万歳
戦地の便り絶えて一年 山の疎開地でひっそり子に摘んだ桑の実
インドネシア独立の火の玉だよ 帰還の大宅壮一さん夫の近況をもたらす
民衆と仲良しでね 彼戦争の幸福者ですよと言われても分らない


以上は結婚から敗戦までの歌のいくつかである。

  • 自由律短歌の一つの例として
  • 戦前戦後を労働しつつ詠った女性歌人として
  • 生活から平和の価値を歌い上げている
  • 戦時下で反戦の目で歌っている
   その例は次の二首でもうかがえる。

    この戦争の本来をいつどこで知る 犬ころのようにかけて万歳
    戦地の便り絶えて一年 山の疎開地でひっそり子に摘んだ桑の実


など、一つの短歌史の座標と思う。


欲しがりません勝つまでは 空腹なだめて雑炊食堂の行列にならぶ
児の脱ぎ忘れた靴夕陽を吸っている しばし聞かざりし声を聞くような
下町空襲で十万死んだ 怒濤のような疎開者 わたしも山梨の山に逃れる
疎開者がむきだしで蠢く駅の地下道 負けまいと加わるボロボロの夢
疎開で借りた畑はとびとびで 背負子背負ってあっちの山こっちの山
遠州鍬に土の固さ 弱音はくまい 今に小麦がとれる さつま芋がとれる


この六首など戦時下に詠まれたものには出色の出来のものがあるとおもった。
もちろん発表で来たはずもない。が、
目の前の現実とそこに生きる自他を率直にとらえて、現実は悲惨なのに美しい。

心身一如という括り



ひと息にこの川跳びしは八月の五年生の脚下駄ばきのまま


この小さな身体のままで何年か先に離(か)りゆくこの世といふ所


さみしいよ 身体の中に退(すざ)れども壊れものの身体庇うてくれぬ


さいさいと包丁研ぎてゐたる日よ病気する前の心身一如


眠らせてくるる一錠春紫苑の花よりすこし紫の濃し


一日を漕ぎ渡りたる日輪が横ひろがりに膨れて沈む


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


「心身一如」 

<「庭」 河野裕子歌集 二〇〇四年十一月刊 砂子屋書房 より >



世間一般のひとびとにも知られる歌人の河野裕子氏が歌集の中に入れたひと束の歌。
それを「心身一如」という言葉で括っている。このひと束の中で使われているからなのは間違いないが、
歌集全体を生と死とそのあいだに立つ自分 を見定める眼差しが際立っている中で、
心身一如という言葉は回復や再生への抑えがたい願いが籠っているに違いない。
しかし歌たちは少しも剥き出しではない。


「さみしいよ」と始まる歌も引きこもるこころの拠り所としての身体が
身体ゆえに壊れものとして壊れていくその頼りなささみしさを「庇うてくれぬ」
と心と身体のそれぞれの孤立・孤独を認知するという、視る者のことばに終始している。
これは読み間違えそうだが繰り言を言うのではない。
繰り言でないからいっそう哀切である。


気持ちよく体がいっしょに歌っていた日々。
包丁研ぎにも主婦の味存分にしていた彼女の心身一如はそれを一如と意識もしなかった。
今は「さいさい」と音たてていた包丁と砥石のリズムが実は身体の中にもあったことが気づかれる。
そしてそれは失われてしまっているのだと「いま」を思い知る。


一日を漕ぎ渡りたる日輪が横ひろがりに膨れて沈む


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


この二首は「裕子調」と行っても良いような世界像が歌われ
健康な時の河野裕子の歌と変わらないが、他の歌と並ぶことで
いのちへの憧憬がこの歌人の以前から変わらない生来のものと気づかされる。


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


この生命感、明るい月夜に夜目にも白く咲くゑんどうの花が豆になっていく。
宮崎アニメの「トトロ」のシーンを連想しても構わない。
豆になりゆくゑんどうの間に居る裕子さんは自身もゑんどうの花なのか。
そしてひと世終えて豆になろうとしているのか。
もしそうなら
自分の死をこのように眺める(凝視でなく)眼で
活きている世界をみていた彼女をわたしは愛おしく思う。


ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく


明るい月夜でなければならない。
そう思っている彼女をそう理解するわたしは
その瞬間だけは「おんなの身」に変容しているのかもしれないと思う。
河野裕子氏の歌に何故かそうなるのである。


読むだけのわたしの大語解(大誤解)かもしれないのだが。


自分の身体を地として万物の「かたち」に触れていった河野裕子の歌の軌跡。
全ては身体のように鼓動を持ち体温を持っていた。


たっぷりと真水を抱きてしづもれる 昏(くら)き器を近江と言へり


この歌にもわたしは人の身体の幻影を見る気がしている。
昏き器とは実はひとの心身一如としての「からだ」ではないのだろうかと。
「ひとよ(一世)」を終えた裕子さんにいまさら確かめる術もないのだが。


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2012年3月1日木曜日

たれちち? たれぢぢ?

痩せぎすで来た何十年。体型や体重にさしたる変化もない。
そんな私が入浴時にある変事に気づいた。


鏡の前に立って自分の片割れを見て気づいたのだった。


馬齢を重ねると…男でも乳が垂れてくる?


脂肪の多い方は男性でも起こる事象だとは…思っていた。
やせっぽちには無縁だと…


いや、これは間違いない。1~2センチ以上下がっている!!


ぎゅっと大胸筋に力を入れるとわずかに上昇するのが分かる。
でも以前の位置よりは下だな、と確認する。


後はただ自分でも可笑しくてははははとほとんど声の無い笑いとなった。
実は健康を意識して上腕の筋肉や背筋は鍛えていて少し成果が出ていたのだが
素人の自己流では大胸筋などは鍛えることになっていなかったらしい。
やり方を憶えて
「バストアップ」といこう(笑)


狂歌一首参る

「垂れぢぢ」と我とわが身に先に告ぐ 鏡の向ふの我がかたはれは






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2012年2月20日月曜日

戻り鬼




追い払い追い払いしても戻り鬼「好きだった」なんて死んでから言うな




あなたにも子がいたらわかるわよ旧友は優しい昼下がり雪に

2012年2月8日水曜日





西行の跡を慕はむ み吉野の風に遅れて 花の散る路



2012年2月7日火曜日





いまのいま心はかくもまがなしき われに凭れて眠るひとあり


言葉なく思い溢るも思うのみ 若き無職が車中に眠る

2012年2月2日木曜日


学生たちの作品だという。
アヴァンギャルドな作品も良いけれど
こんなのを作る学生っていいと思う。

No Robots from YungHan Chang on Vimeo.


アポロンの指の触るるや身を隠し遂げざる恋を残す夏闇

2012年1月23日月曜日




空といふも青さにあらず たんぽぽの綿毛輝く往くへを逐いぬ

「あれ!」
「どこ? どこよぉ」
「空!」
「お空あおいわね」
「そうじゃなくって、た・ん・ぽ・ぽ」
「あ」
ふたりはそれからたんぽぽの綿毛を追いかけて走っていった。


青空の雲ひとつ映るシャボン玉きみを映さず消えてしまいぬ

きみの顔をじっと見ていたくて、恥ずかしいから
ふくらませたシャボン玉に映らないかな…
でも映っているのは白い雲
どんどんと空へ昇っていってしまう
だからいくつもいくつも
シャボン玉だらけ

2012年1月20日金曜日

2012年1月18日水曜日

2012年1月8日日曜日



ただ君といるだけで幸せだったあの日…
流れていたのはプレスリーの歌うこの歌だったね。

ありありと日はあり続くわれ在ればわがつまはありかぎろふ朝に


2012年1月4日水曜日

年末から年始へ 偶成の句

    川柳一句浮かぶ。
悩を除いた顔か「福笑い」 


    テレビ番組を一句。
不真面目とドギツイを混ぜて『バラエティ』 


鴛鴦もレジで会うまでいきわかれ 


    クリスマスの俳句
亡妻(きみ)と買いしクリスマスローズ追憶う夜


風つよきイブ 星 映り 爪は冷ゆ


「収束」の建屋に虚し 片時雨